2022/04/05 14:24

おそろしく

自信も、積極性も、自己愛も、
ないままに育ち上がった20歳。
家庭と社会環境に大きな影響があったと思う。

核家族。
父と母の世界観がすべて。
父も母も、
もれなく自信も、積極性も、自己愛もなく
子供を育てるには、あまりにも、幼いままだった。

父母を育てた祖父母も
周りの大人たちは
心の成長の方法、知識・教育を得られないまま
大人になってしまっていた。

祖父母は、可愛い従姉妹を可愛がり、
兄を重んじた言動を隠さなかった。
私は可愛くない、愛されるべき存在ではないと言われているように感じもした。
私は、いつも何かしらの疎外感や物悲しさ、自分自身の価値の無さを感じていた。

どうやったら愛されるのか。
誰かに愛されるって
大事にされるって
どうしたらいいのか。
私はどうすれば満たされるのか。

今になってもわからないまま、
いまだに引きずっている。


3歳くらいの時だっただろうか。
父と母の離婚騒動があった。
母も自尊心のない人だったから、
父親や祖父母からの発言によって、
神経衰弱状態にあったと思う。
幼い私に、
どちらについていくのか、と母は質問した。
錯乱状態の母。
恐ろしく
危機感を感じた。
父親を選択した旨伝えると
お前も私を見捨てるのか!と言われた。
とっさに私は、
大丈夫、お母さんのそばにいるよ、と伝えたのだった。
ああ、もう逃れられない。
母には私しかいないのか。
私が守らないといけないのか。
監獄にいるかのような
不自由感を授かってしまった。
保育園に入る前、3歳のときだった。
それは、大人になっても
母からは逃れられない、という見えない鎖になった。

そこからどういうわけか復縁した父と母のもとで暮らすも
何かが改善したわけではなく、
物悲しい子供だった。
虐められもした。
友達との関係もうまくいかなかった。
友達の言われるがままにしてみても、
友達も、
自分を満足させることも
誰も満足させることもできなかった。
通信簿には、必ず、大人しい、と書かれていた。
ひたすら机に向かって漫画を描いていた。
人に大切にされたことがなかった。
人と関わることが、人が怖かった。

小学5年生の時、父親が交通事故に遭った。
自分から中央帯に衝突した事故で命に別状はなかったが
この事故で家族は完全に離散していった。
父母養父母が大揉めし、
結局父親は私たちの家に帰ることはなく
養父母の家に帰り、母親を嫌っていた兄も養父母の家に逃げ込んだ。
私は父親に裏切られたように感じた。
母親以外の選択肢もなく
監獄のような母と子の生活が始まった。
おそろしく心配性の母親。
そして飲酒や過食、暴言妄言を繰り返す母親。
私は精神的に安定などできるはずもなく、
お酒を飲まないで、と泣きながら訴えることが途切れない日々もあった。
センター試験の当日に、暴言を吐かれた日もあった。

勉強ができなくて、書き続けていた絵に逃げるように芸術大を受験した。
いくら夜更かししても、
集中できないし、勉強は頭に入ってこなかった。
大好きだった絵も、私より吐いて捨てるほど上手な人はいる。
何がしたいのかわからなくなった。
1浪し、芸術大を受験するも、受かるはずもなく
短期の芸術大になんとか受かった。
短大に通っている間は、ゆっくりと時間がすぎ、
幸せな時期だったように思う。
友人と話したり、旅に出たり、
<自分>を感じることができた。

就職する時期になり、
絵で食べていく自信もなく、
覚悟もなく、
<自分>は何がしたいんだったけ、という状態に陥った。
人と違う、ということが怖くなった。
人がいいという道を進みたくなった。
ちょうどリーマンショック前の若干景気が上昇していたときだった。
短大しかも芸術系出身でも金融機関の推薦就職枠で就職することができた。
そのときは心底安心した。
人のいう<普通>の<良い>道を進むことができると。