2022/04/05 15:44

ナイナイナイ。


経済を勉強したわけでもナイ。
サークルで人と関わったわけでもナイ。
パソコンスキルがあるわけでもナイ。

ひたすら一人で絵を描いてきただけの人間。
金融機関で
人と一緒に働く、という
完全に畑違いの環境に戸惑わないはずがナイ。
ナイナイナイナイ。

上司に怒鳴られ、叱られ、どう自分の心を持っていけば良いのか。

仕事が<普通>にできない。
見漏れ。
確認漏れ。
漏れまくり。
ミスりまくり。

同僚とも上司先輩ともどうすればコミュニケーション取れるのかわからない。
というか、コミュニケーションの取り方なんて、父母、誰からも習ってない。
そりゃ無理。
周りの人たちのように、
仕事も会話も
<普通>にできない。
<普通>になりたかったのに、
私には<普通>にする能力がない。
自分の価値を、存在を見つけられなくなった。
会社では、
地上からいつも3センチくらい浮いている、透明な存在と感じていた。

それでもなんとかかんとか5年ほど勤めて
お金が貯まった頃
母親から独立したくて
一人暮らしを決めた。
保証人の関係で、母親からの同意がないと難しく
母親は説得せねばならなかった。
母親はその日の感情次第で反対をしたり賛成したり。
それでもなんとか説得して、
なんとか一人暮らしを始めた。

合鍵は渡さないといけなくて、
いつ(錯乱した)母親が襲撃してくるともわからない。
(錯乱した母親は突然襲撃してきて
私のこと捨てるのか!など言って襲撃してきたっけなぁ・・・(ははは))
私にとってはスリリングな一人暮らしではあったが
母からの<鎖>を緩まったと感じた。

近くに鶴橋があった一人暮らしのマンションは、
私にとって大切な場所になった。
毎週土曜になると鶴橋の市場に出かけては魚を買い、調理した。
玉造駅近くにあった八百屋さんのおじさんとの会話は
今の朝市につながるきっかけになったとも思う。
その時間は、私を<私>たらしめたのだ。

季節の野菜、野菜の目利き、調理方法。
梅干し、梅ジュースの作り方、糠漬け。
私の家の中、一人安全な場所で手を動かす。
お店でおじさんと話す。
それらで私の心は満たされていった。
むくむくと私の中に<私>が作りあげられていった。

作る、と盛り付けたくなり、
四天王寺の骨董市に出かけては、できた料理を盛り付ける皿を探した。
そんな折、京都で初めて行われるという骨董市に出かけることにした。
そこで出会った骨董商に衝撃を受けた。
その人と結果的に結婚することになった。
なんでそうなったんだっけ。
電話するたびに、母から受けてきた辛い出来事を慰められ、
この人となら、なんとか生きていける、と感じたんだろうか。
彼の何かしらに、圧倒されたからでしょうか。
当時の私にインタビューできるならしてみたい。

自営業をしている彼の生き方が興味深く、
一生懸命に仕事しているように見えた。
料理をする、ということが当時の私を満たしていた。
故に
料理すること、を仕事にし
彼のような生き方をしてみたい、と感じるようになり
仕事を辞めることに決めたのだった。

仕事辞める、と不安ながらに彼に話したとき、
自営業なめるな!と居酒屋で怒鳴られ、
私は号泣したのだったが、
あれはすでに二人の関係性の前兆のようなものだった。
私は、別に自営業なめてないし
(皆がそうであるように、初めは知らない、というだけ)、
彼がなんと言おうが辞めりゃ良いのだった。
彼は彼で、怒鳴らなくていいのだ。
ただただ、お互いに自信がなかったのだろう。
相手に認められない・怒らせるような選択をしては嫌われるのではないか。
選択する軸が私の中にそのとき育っていなかった。