2022/04/05 16:17

いつか料理店を開きたいと目標を持ちながら

どうやったら良いか
さっぱりわからない。

とりあえず料理店で働こうか、と考えたが、
まずスキル、を身に付けたくて
魚屋で働くことに決めた。

魚屋の大将は、大人しい女の私の扱いに困っているようだったが
将来料理店を開きたいこと、
そのために魚の捌き方を教えて欲しいと伝えると
積極的に教えてくれた。
空いている時間で鯛やヨコワ、
ヒラメなどの捌き方を見せ、させてくれた。
京都と育った大阪の魚の食文化の違いを教えてくれた。
あるもので、最大限できることをする、
京都の食文化の面白さを知った。

同居していた彼とは、関係性が変わることはなく、
彼の仕事の手伝いをしたりしながら
私は彼に嫌われないように、彼の機嫌を恐々見ながら過ごす日々。
2016年12月末、妊娠が判った。

出産するにあたり、どうやって産みたいのか自問し
自宅で、安心できる場所で産みたいと考えた。
そこで、助産師のNさんに出会った。
私はNさんに、母性というものと無条件の慈愛をもらうことになったのだった。

Nさんの妊婦検診は、
自分の身体と子供の身体を大切にしてもらっていると
毎度感じた。
お腹の子供に挨拶し話しかけ、
私の身体を労わるようにさすってくださるNさん。
命、を慈愛で包むように
大きな、手と指。
彼との関係。
母親との関係。
自分自身との関係に苦難している私を慰めてくれるようだった。
毎回、涙が出るようだった。

母親には出産時も出産時も来て欲しくはなかった。
私が安心して子供を産めるように。
母にはもちろん理解されなかった。
今になって思うが、初めてしっかり自分の意見<拒否>を
母に言えたのはこのときが初めてだった。
故に父親になる彼と二人三脚で子を見ると決めたのだった。
正解不正解はない。
選択が
ただそこにあるだけ。