2022/04/12 12:57

子生まれて1年後には、就職することと決めていたし、

彼にも約束していた。
しかし、子が生まれ、
価値観は変わり、
心は大きく揺れ、
結果辿り着いたところは変わっていた。

私は、乳飲み子から離れて、
仕事をする選択ができなかった。
また、
飲食店を経営する、という目標は
自尊心・自分の存在とともに立ち消えていくようであった。
様々な要因と重なり、
私は子とともに過ごし、彼の仕事をともにすることに決めた。

仕事をともにする中で、
今振り返れば、だが
自信や経験になったこともあった。

しかし、当時の私にとっては、
自尊心も自信もなくなり、
私の存在が消え失せていく日々だった。

気づけば毎晩一人泣いていた。
心はもう、治療不可能なほどに傷だらけで、
心にいる私は、
一人ぼっちで
血だらけで骨折し、
身体はあちこちに引きちぎられていた。
私を守り愛する人は、誰も居なくなっていた。

このまま、
私が消えていく、感覚の中で
どうにか私と社会をつなぎたかった。
このまま、子を残したくなかった。
私が居ても、
そこに居ないような孤立した家。
価値観を毎日否定される場所。
携帯のFacebook、インスタグラム、ソーシャルメディアの中で
家の外にあるはずの、別の価値観を探ろうとしていた。
その時たまたま見つけた本が

その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――

だった。
わずかなコミュニケーションでも、人の命を繋ぎ止めることができる。
その時、なぜこの本を読んだのかわからない。
ただ、何か心の中で救いを見つけた。

毎日の発言に、傷つき、麻痺状態になっていた。
それでもある日、
決定的に辛い一言が私の心をズタズタにしてしまった。
もう、やめよう。
私を必要としてくれる人・場所はきっとあるはずだ。
だから、私がそこを見つけ、行こう。
そう決めた。
私は、なぜかわからないが
伏見の方角へ自転車を走らせた。