2022/04/12 14:40

コロナ禍が始まったあの時、

人々は混乱の中だった。
情報は錯乱ていた。
その中で
私は何を取捨選択するのか。
何を信じていくのか。
この時
自分自身の価値観を再構築するきっかけになったように思う。

朝市の主催者さんは、こんな時だからこそ、
安心して買える場所、安心して買える食材を提供する、と話され
朝市は存続した。

孤立化していく社会に、さらに追い討ちをかける状況。
私は産後陥った孤独感。
同じような感覚を
当時社会全体に感じ始めていた。

孤立化する人々をつなぎとめるネットワークシステムが
社会の中に必要ではないか。
日々、関わりあえる人は生活圏の中で限られているから、
地域内、でそのシステムが必要であろう。
私は産後に読んでいた

その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――

を思い出した。
今だからこそ、この朝市の必要性をこの時強く感じたのだ。


近くに<買い物>できる場所はあるかもしれない。
<食べる>ことはできるだろう。

しかし
人は食べる、だけでは生きていけないと思った。
良い食材を食べていても、
心が孤独なら、
心が傷ついていたら、
それは心や身体の栄養になりえないと考えるから。

人は少なからず傷を持ち合わせている。
何かのきっかけで孤独になることもある。
しかも、いつ誰がそうなるかなんてわからない。
明日は我が身、だ。
だから
関わり合う、支え合うシステムを地域で構築していることで
何かあったとしても
心を癒し合い、満たし合い、生きていけるのではないか。

私が朝市に希望を見出していた中で、
朝市が高齢化により終わることが決まった、と連絡がきた。