2022/04/12 15:18

ヤバイヤバイ。

居場所がなくなる。
当時の私は焦りまくった。

朝市に来てくださるお客様が減っているわけではない。
むしろこの状況になって増えていたし、
お客様にとっても惜しむような状態。

どうにかして存続できないか。
私が引き継ぐことはできないか。
私は現状の朝市の運営方法、仕入れ方法、をヒアリングし、
どうすれば存続できるかを洗い出した。
アルバイト先のマスター、パンの先生を始めとする自営業者の方々、
お客様にも相談した。

当時主催者さんは自ら仕入れに出かけ、運営も行っていた。
かなりの労力が必要であったはずである。
よく今まで続けてくださっていたなぁ、と感じた。
これを私(車なし)でも運営できる方法を探った。

また、当時よくパンを買ってくれていたお客様であり
二人の子のお母さんであるMさんに、朝市の運営を手伝って欲しいをお願いした。
彼女は本当に快くその場で、良いよ〜と返事してくださった。
あの時、同士がいてくれたことは
本当に有難く、嬉しかった。
今でもその情景が思い出せるほど。

あとは主催者さんを説得することが残っていた。

朝市の運営の難しさを知っている主催者さんは、
辞めとき、儲からへんよ。と初めは話していた。
けれど、
この状況だからこそ、
安心して買い物ができ、
良い食材が買える、地域のコミュニティスペースとしての朝市を残したいと伝え、
最終Mさんの説得素晴らしく、
魚屋さんにひっつく形(魚やさんはお客さんのリクエストもあり、朝市が終わったあともくることが決まっていた)
で、小さくともなんとか朝市ができることになった。

そこからは、
チラシを作り、近くの個人商店さん、
アルバイトさせてもらっている喫茶店にチラシを置かせてもらった。
チラシをみた近くの学生Mさんが
ボランティアに行きますよ、と応募してくれた。
ボランティア募集、とも記載していなかったのだが、
Mさんの気持ちは本当に有難いものだった。

二人のスタッフは、
人との関わりあいがまっとうで
慈しみを持って人と接す人たち。
来てくださるお客様にとっても
私にとっても
優しさで包んでくれる存在。

伏見わっか朝市のスタートにとって
二人は神様からのめぐみ、やったなあと
その当時も今も思っている。
また、
朝市を続けてみ、やってみ、と最終的に応援し、
今も支えてくださっている元々の主催者さん。
相談に乗ってくださったアルバイト先の喫茶店のマスター、
パンの先生、自営業の先輩方。
困った!といえば、駆けつけれくれる友人たち。
そして、朝市が終わってからも、行くよ〜と話してくださったお客様。
今も来てくだっているお客様。
皆さまがいなければ、
朝市をスタートすることも
続けることも
できなかった。

農家さんも
お客様も
主催者も
野菜も
誰も無理をしないで
お互いの状況を理解し合い
<わっか>になってお互いを支え合えること。
続けていけること。
それが、朝市の名前に込めた願いです。


私が、伏見わっか朝市に出会うまで、
本当にたくさんの方々に支えていただきました。

今続けられていることも皆さんが支えてくださっているおかげです。
本当に、ありがとうございます。

さて、
今伏見わっか朝市に波がやってきました。